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2012年02月19日

ヤ軍と破談の岡島、日本復帰の可能性も

ヤンキースとマイナー契約で合意していた岡島秀樹投手(36)が17日(日本時間18日)、フィジカルチェック(身体検査)の結果、左肩に何らかの異常が見つかり、契約を破棄された。

 招待選手としてメジャー昇格を目指すはずだった20日(日本時間21日)からのキャンプに参加せず、今後は他球団に移籍先を求めることになった。

 岡島は自身のブログに「残念です。これからって時に…。体は元気なのにね。痛みも無いのになぜ?本当に悲しくなります」などと記した。今週はフロリダ州タンパのキャンプ施設で練習を行っており、岡島サイドに故障の認識はない。一方のヤ軍は古巣のレッドソックスに対して左肩の故障歴を確認する調査も行ったもようで、総合的に契約破棄の判断を下した。

 岡島は「少しでもチャンスがあるのなら、もう少し頑張ってみます。エージェントに任せて、いつでも投げられる準備をしておきます」とし、米国に滞在しながら移籍先を探す予定。ただ、交渉が難航すれば日本球界復帰の可能性もある。
ソース元 スポニチアネックス

ぱっとしない中継ぎのばかりの阪神獲るのでは?肩はよく見とかないと、ポンコツつかまされるぞ!!

ヤンキースってややこしい球団やな。

Posted by ぽっき at 10:27 その他 関西
2012年01月10日

「一番じゃない」澤が「世界一」

 2011年の夏の終わり。つい数カ月前に女子ワールドカップ(W杯)のMVPに輝いていた澤穂希は、こんなことをつぶやいた。
「わたしは、何も一番じゃないんです」

 なでしこジャパン(女子日本代表)の合宿では、時折、選手の運動能力テストを行っている。持久力やダッシュ力、ジャンプ力などを測定するのだが、澤はどの種目でもトップになったことがないという。なでしこジャパンの中で、飛び抜けて得意な種目もなければ、飛び抜けて苦手な種目もない。
「だから、澤穂希という選手は、言ってみれば平均点のサッカー選手なんですよ」
 この言葉に象徴される謙虚さこそが、澤を世界の頂点にまで引き上げた原動力なのだろう。

 2012年1月9日(日本時間10日)、澤穂希がFIFA(国際サッカー連盟)による年間最優秀女子選手に選ばれた。01年に同賞が創設されて以来、過去10年間の受賞者はわずかに3名のみ。01年と02年は、米国の国民的スター、ミア・ハム。03年から05年は、ドイツの“女帝”ビルギット・プリンツが3年連続。そして06年から10年までは“スカートをはいたペレ”と呼ばれるブラジルのマルタが5年連続と、女子W杯や五輪の舞台で名をとどろかせた選手たちが連続受賞していた。

■断トツだった澤への支持率
 今回の澤も、昨年のW杯・ドイツ大会での功績が最大限に評価された。メキシコ戦では、釜本邦茂氏(男子)を超えて日本代表通算最多得点となる75ゴール目を記録。W杯、五輪を通じて自身初のハットトリックも達成した。ドイツ戦では丸山桂里奈の決勝ゴールをアシストすると、続く準決勝で勝ち越しゴール、決勝では延長後半終了間際に、“あの”同点ゴールを決めた。大会得点王と最優秀選手を獲得し、優勝と合わせて「すべて」を手に入れたのだ。

 そして、今回の年間最優秀選手賞である。FIFA加盟208の国と地域の女子代表監督およびキャプテン、そして国際ジャーナリストによる1次候補者10選手への投票の内訳を見ると、有効投票総数の28.51%が澤に集まった。以下、2位のマルタが17.28%、3位ワンバック(米国)は13.26%にとどまった。澤への支持率は断トツだったのだ。

 振り袖姿でステージに上がった澤は、受賞の喜びを淡々と述べた。そのスピーチの中に、やはり彼女らしいフレーズがあった。
「このような素晴らしい賞をいただけたのは、会長、監督、コーチ、チームメート、家族、友だち、今まで女子サッカーに携わってくれた、すべての方々のおかげだと思っています」

 受賞したのは自分だけれど、自分1人で賞にたどり着いたのではない。「一番じゃない」澤は、舞い上がることなく、自分を客観視しているのだ。
 澤は事あるごとに「サッカーは1人でやるものではない」と言い、「仲間との団結力」を勝利の糧とする。全員が献身的にプレーするからこそ、総合力で相手を退けられると胸を張る。

 誰もが舌を巻くような、圧倒的なパワーやスピードは持っていない。その代わり澤は、自他ともに認める「研ぎすまされた感覚」を持った選手だ。「ここでボールを奪える」「ここにパスを通せる」「ここにボールが来る」。そのような感性豊かなプレーで、長年チームをけん引してきた。しかし、04年のアテネ五輪や07年のW杯・中国大会では、チームも澤自身も特別な活躍を果たせなかった。中国でのW杯が終わると「澤のキャリアのピークは過ぎてしまったのか」といった声もささやかれた。

 しかし、08年に佐々木則夫監督が就任すると、なでしこジャパンは北京五輪で史上最高の4位に躍進。澤自身も「わたしはまだ、うまくなれる」と、周囲の限界説を吹き飛ばし、現役続行を決意した。そして迎えたW杯・ドイツ大会。さすがに走力は20代当時と同等というわけにはいかない。それでも彼女は、想像を超えて輝いた。なぜか。うまくなっていたのは、澤だけではなかったからだ。

 つまり、アテネ五輪当時は、ほぼ澤1人が世界水準だったものだが、昨年のW杯を戦ったチームには、世界的なプレーヤーにまで成長した選手が要所にそろっていた。阪口夢穂の展開力、安藤梢のキープ力、岩清水梓のクレバーな守備、宮間あやの正確なキック。それらが、澤自身に本来備わっていた、たぐいまれな感覚を大いに引き出したのだ。だからこそ、澤は仲間を信頼し、仲間を励まし、仲間を助ける。

「苦しい時も、仲間がいるから頑張れる」
「みんなでやるから、サッカーは楽しい」
 世界に伍する仲間を手に入れたからこそ、澤はチームでも個人でも、世界の頂点にたどり着くことができたのだ。

■浮き沈みなく、淡々と努力を重ねていく
 澤となでしこが次に目指すのは、ロンドン五輪でのメダル獲得だ。W杯と五輪を連覇した女子チームは、過去に1つもない。それだけ、世界一であり続けることは簡単ではない。澤は言う。
「W杯王者だから、という重圧は自分の中にはない。プレッシャーとは常に、他人から掛けられるものだと思う。だから自分で気にすることはないんです」
 五輪の舞台では「あくまでも挑戦者」という立場を見失ってはいない。

「有頂天になったら、そこまでの選手ですよ。わたしはこれまでも、どんなにいい試合でも、何かしらミスをしている。だからまるっきり満足したことは一度もないし、自分は絶好調だと思ったこともないんです。これからも現役でいる間は、満足する日は来ないと思うんです」

 自分を特別な選手だとは、決して思わない。浮き沈みなく、淡々と、毎日それが当たり前だと言わんばかりに努力を重ねていく。ひょっとしたら、わたしたち日本国民にとって特別な日となった、FIFA年間表彰式のことも、澤はすでに過去の出来事と割り切って、振り返ることすらしないかもしれない。
 勝利も敗北もない「いま」を生きる。そんな日々の積み重ねが、澤をどこまでも高い場所へと連れていく。

ソース元 スポーツナビ

とうとう、日本だけでなく世界の「澤さん」になりましたね。「自分を特別な選手だとは、決して思わない」と口だけでなく行動で示しているからこその澤さんですね。すばらしいです。

Posted by ぽっき at 23:42 その他 関西
2011年12月02日

マック鈴木監督が退任=関西独立リーグ―神戸

 野球の関西独立リーグ、神戸サンズは2日、マック鈴木投手兼任監督(36)=本名・鈴木誠=が契約満了に伴い、退任すると発表した。現役続行を希望しており、移籍先を探すという。
 マック鈴木氏は球団を通じ「見守る大事さや我慢強さを学べた。今後に生かしたい」とコメントした。金崎泰英フィールドコーディネーター(39)が監督代行を兼務する。
 マック鈴木氏は日本のプロ野球を経ずに米大リーグ入りし、マリナーズ、ロイヤルズなどで通算16勝を挙げた。オリックスなどを経て、今季から神戸に在籍していた。

ソース元 時事通信

マック鈴木も騒がれてたのに36歳。オリックスで活躍できなかったあたりからicon15な野球人生ですね。ほかでもがんばってください!

Posted by ぽっき at 18:17 その他 関西
2011年11月29日

西本幸雄さんのお通夜

 大毎(現ロッテ)、阪急、近鉄(ともに現オリックス)の監督を務め、25日に心不全のため亡くなった西本幸雄さん(享年91)の通夜が28日、兵庫県西宮市の「エテルノ西宮」で営まれ、阪急時代の教え子である山田久志氏(63)、福本豊氏(64)=ともに現野球評論家、オリックス・岡田彰布監督(54)ら約350人が参列した。山田氏は「まだ気持ちの整理がつかない」と悲しみをこらえた。葬儀・告別式は29日午前11時から同所で行われる。

 続々と詰めかけた教え子たちが、闘将との別れを惜しんだ。白い花で囲まれた遺影に手を合わせた山田氏は「今、自分があるのは西本さんのおかげ。感謝してもしきれない」と声を絞り出した。

 西本さんとの思い出を聞かれると「まだ気持ちの整理が付かない」としばし絶句。そして「近々では中日の監督に就任した時、キャンプ初日に一番初めに声をかけてくれた。何とか期待に応えたいと思ったが、西本監督のような結果が残せず悔しい思いでした」と振り返った。厳しかった監督時代について「選手時代は褒められたことは1度もない。人生の師匠のような感じが私の中にあった。素晴らしい野球人生を送らせていただいた」と感謝した。

 福本氏は「まだ(亡くなられた)新聞記事を読むたびに泣いている。こんなチビスケを一流にしてくれたのは西本さんやからね」と思い出をかみしめるように語った。「一番の思い出は、ショートゴロで凡退した後『もう使わんぞ!』としかられたこと」と話した。足が速いからといって当てにいく打撃では大成しない。「体が小さくても、バットを振り切れと教えられた。そのおかげで200本も本塁打を打てた」とその先見の明に感謝した。

 会場のホールには野球殿堂レリーフのレプリカ、監督1000勝記念賞の盾や過去8度のリーグ優勝時の写真パネルが展示された。戒名は「慈徳院釋将幸」。山田氏も福本氏も「オヤジのようだった。自分が一番お世話になった」と口をそろえた偉大な名将の遺影は、参列者に優しい笑顔を送っていた。

 葬儀・告別式では愛弟子であり、前日本ハム監督の梨田昌孝氏が悼辞を読む。

ソース元 デイリー

91歳は大往生でしょう。お疲れ様でした

Posted by ぽっき at 09:03 その他 関西
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